
2025年3月入社の寺家(じけ)です。
簡単に自己紹介させていただきます。
最近よく聞かれるのが
「寺家さんって・・・M-1に出てたバッテリィズの人と親戚ですか?」
です。冒頭にはなりますが、親戚ではないです・・・(我が家は寺家の名前の親戚がいない)。ただ出身はかなり近いところですね。
【出身・住まい】
三重県津市生まれ三重県津市育ち三重県津市居住
先祖代々(江戸時代までさかのぼっても)三重県津市です。ちなみに家はお寺ではないです。
【家族】
妻と今年小学生になる息子がいます。
【趣味・特技】
趣味はダイエット、特技はリバウンドです。現在、特技発動中です。1年の間で70㎏~90㎏まで幅広く変化します。たまにしか見ない人は見間違えてスルーしないでください。
【職歴】
新卒で地元の銀行に入行しました。銀行では主に(というかずっと)、外回りをしていました。お客様に恵まれて渉外としていろいろな経験や知識も積まさせていただきました。約18年間銀行員としてお仕事させていただき、その後、スタートアップ企業を3社渡り歩いて今に至ります。
さて、表題の件ですがスタートアップとの出会いまでのところお話しさせていただければと思います。気が向いたら銀行退職編~FIXER入社編まで続き書きます。
【~出会い編~】
銀行員をしていたとき、とあるお客様との出会いがありました。その会社は町工場ですが社長はモノづくりが好きなエンジニアでしたが、経理その他は全くわからない・・・という方でした。よく言えば社長ですが実態は町工場の親父、地方ではよくいる人です。ただその社長は新しいものを開発するのが好きで、現在街中にLUUPを筆頭としたキックボードが走っていますがそれらが勃興してくるより前に
「キックボードを開発して世の中に広げたい」
とという夢をお話しされていた方です。
そんな開発に対して銀行の担当だった私に融資の依頼を頂戴しました。そんな私の出した答えは
「No!」
でした。当然といえば当然なんですが、銀行の当時のスプレッド(利鞘)は雀の涙程度しかなく、いかに保証付きとは言えそんな危ない橋に乗る融資はできなかったんですよね・・・。
本来ならこれで終わりなんですが、その社長がすごいことは、「じゃあ、○○っていうサービス(エクイティ調達向けCF)知ってる?それに申し込みしたいんだけど・・・」と私に切り出してきたこと。私もそのサービス自体は知らなかったんですが、断っているということもあるし、とりあえずこちらには融資の申し込みを断った時点でそれ以上のマイナスはないので、簡単に「いいんじゃないですか?」って答えちゃったんですよね。そのあと社長から返ってきた言葉は
「じゃあ、寺家君、事業計画書いて」
でした・・・。いや、これも断ること出来たんですが、なんか面白そうって思っちゃったんですよね・・・。そこから、
「エクイティとはなんぞや?」
「それに対応した事業計画とは?」
なんかを一生懸命勉強しました。ぶっちゃけ知らなかったんですよね、お客様にさんざんお金の話をしていたのに・・・。時には仕事終わってからお客様の会社に夜中までいて、次の日に銀行員の仕事して、また夜からその会社行ってみたいな生活をしてました。もちろん無給(正確には夕食付)。それでさんざんこねくり回した事業計画を完成させて、社長にサービサーあてに説明に行ってもらうようにお伝えすると
「いや、お前が作った資料だろ。一緒に来い」
って言われてしまいました。いや。これも断ること出来たんですよね・・・。でも当時の支店長に相談したら「行ってこい」っていうから・・・。朝一で社長のハイエースに乗って(乗せられて)、東京まで6時間かけて移動してプレゼン。その時サービサーに言われたのが
「普通、担当の銀行員がここまで来ませんよ((笑)」
・・・はい、私もそう思います。でもなんか面白そうだったからつい・・・。
ただ、私が一生懸命作った事業計画でしたが、残念ながらそのサービサーからは不合格でした。でもその時に
・スタートアップ支援とは?
・スタートアップで働くということは?
を強く意識した瞬間でした。その後、その会社を通じていろいろな経験や普通に地方銀行員の渉外していたら会えなさそうな人(某グローバル企業の取締役)ともお会いさせて頂いたり、海外工場の視察なんかにも同行させて頂いたりしました。で、どんどん新しいことやりたい熱が高まっていたんですよね。ただ、その会社では雇う余力がないことも分かっていたし、プロボノでの支援もできそうだったのでどうしようかと思っていた時に前述のCFを取り扱っているサービサーから連絡が。
「寺家さん、ウチで働きませんか?」
~つづく(かも)~