調理師がIT企業に行ったワケ。~コロナ襲来編~
2024-04-05
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理由タイトルに書いてんじゃん!コロナだろ?

というツッコミはさておき、初めまして。24年度よりFIXERに入社しました

茂里 和龍と申します。キラキラしてて読めないね。もり わだつと読みます。

私自身は高校まではパソコンの立ち上げ方すら怪しかった人間なので

”なぜそんなヤツがITを目指したのか”をつらつらと書いていきます。

お付き合いいただければ恐縮です。


茂里和龍という男

さて、まず初めに「茂里和龍って誰だよ。」という所から説明させていただきます。

茂里和龍

2003年1月24日生まれ

愛知県名古屋市出身

趣味・好きなこと、もの

料理を食べること、作ること。温泉巡り。カラオケ。ギター(3月から始めたぺーぺーさん)

ガンダムシリーズ全般(特にG、W、Xのアナザー三部作が好きです。)

こんな感じです。アーティストだと、星野源さんが特に好きです。

調理科高校への入学

私は県立の岩津高等学校という所に進学しました。

ここは…まぁ…ナニとは言いませんが、ぶっちゃけ下から数えたほうが早いような高校でした。

……だからって調べないでくださいね。

ですが、一つ良いところがありまして。

愛知県内の学校の中では唯一の高校卒業と同時に調理師免許が取れる「調理国際科」がある学校だったのです。

中学生までの私は、一人っ子かつ鍵っ子だったので自炊することも少なく無く。

それが高じて料理人になるのが夢だったので、

三河という離れた場所(家から片道40km弱)だったにもかかわらず入学を決めました。

やっぱり、好きを仕事に。っていうのは素敵なことじゃないですか。

今でも初めて調理服を着たことを鮮明に覚えています。

三年後には立派な調理師になるぞ!という夢を掲げて、三年間奮闘していました。

卒業作品のうちの一つとして考案、作成した前菜三種です。左上からサーモンの鳴門巻き、白煮、南蛮漬けです。

写真撮影も学べば良かったと、心底後悔しました。

コロナ襲来

はい、ヤツが来ました。私が卒業する前年のことです。

当時はロックダウンや、著名人の病死等で日本中がパニックに陥っていたような記憶があります。

そんな中、私の学校の一斉休校によって自宅待機を余儀なくされていたのですが…。

内心、ホクホクでした。通学で1時間半とかかかる分を家での料理研究に充てられるので、

実際3年生に進級するまではかなり楽観視していた節があります。子供ですね…ホント。

ですが、現実は恐ろしいものでした。

以下は、実際に遭ったお話です。

先生が朝教室にきて真っ先に前年までの就職先一覧にどんどん見知らぬマークが付与していきます。

私は我慢できずに、その意味について聞いてしまいました。

ボク「これは何ですか?そこそこ規模の大きい飲食店ですけど。」

先生「あぁ、それはなくなったお店ですよ。」

…いやいやなくなったお店って何だよ。

意味が分からずその店を調べてみると、グーグルマップ上に見知らぬ文字が書いてあったのです。

”閉業”…と。

こっわ!下手なホラーより恐ろしい話ですが、こちら実話でございます。(数年前の記憶頼りではあるけど大体こんな感じ。)

もちろんそういった個人店のお店だけでなく、大手のホテルなどもあおりを受けていたようで、

かなり就職先自体が減らされていたような記憶があります。

そのため、「これはいけない。就職できても倒産してしまっては意味がない」と数か月遅れて受験勉強を開始しました。

…数年間は、まだ学生でいれるからほとぼりが冷めてから就職すれば大丈夫だと考えて。

しかし、その受験勉強も結局は付け焼刃に過ぎず。そのほとんどが「不合格」でした。

さらには、春先に起こった車との接触事故に遭ってしまい1年ほど通院しなければならなくもならなくなってしまいました。

動くことも、調理をすることもできずメンタルも体もボロボロ…それでも腹は空く状態。

そんな時に、一つのITサービスに出会ったのです。それが、UBEREATSでした。

IT専門学校へ

当時、料理はお店で食べるか、自分で動くかの二つしか知らなかった自分にとって

その衝撃は凄まじいものでした。サービス業は受け身の肉体労働です。お客が来なければ、体が壊れてしまえば、

どんなに腕が良くてもお金はもらえません。

ですが、ITは違う。調理師と同じサービスを提供する側ではあっても、

頭脳労働です。これは私にとってとても大きな差に感じられました。

ITやIoTなどについて知ったのもその時です。もっと知りたい。ITをやってみたい。

そう考えた私は、当時CMをバンバン打っていてネームバリューのあったHAL名古屋に進路を向けました。

もう子供ではない。料理自体は家でも作れるものだ。だから好きだからと言って体を壊してしまっては意味がない。

一度事故に遭い、ベッドから動けなくなってしまったことを思い出すと思考自体がそのように移っていき、

働き続けられる環境というものに意識を向けていくようになったのです。

これが、私がIT企業に、FIXERに進むに至ったワケなのです。

あとがき

ここまで読んでいただいてありがとうございます。

初めてこういったものを書くので。拙いところもあったとは思います、えぇ。

ですがこのような経緯を辿ってIT企業に進む人間も相違ないと思うので、私ならではの視点もあるのでは

と思いここまで書かせていただきました。

実際、色々プログラミングを学んでみると調理をすることと似ていることもありました。

例えば、食材そのものでは食べにくかったり、そもそも食べられないような物があります。

それらに対してレシピを用意し、焼く。煮る。蒸す等様々な手を加えることで安全に、そして食べやすくしたり

さらには飾り包丁をいれたりして見た目を華やかしたりすることによって

美味しく召し上がっていただく。それが調理の根幹です。

それらに対して、プログラミングも欲しい機能等の要件に適した言語を用いてコーディングを行い。

さらには使いやすく、美しい見た目にするためにcssやjsを用います。

これらの、ユーザー第一の心構えのような共通点に気付けるのも、私のような者だからこそではないでしょうか。

…言い過ぎですかね。すいません、いい感じに纏めようとしてました。白状します。