イントロダクション
メタバースって最近よく聞くけれど、実際どんなものなの?何がそんなにいいの?
「実在感を伴うコミュニケーションができること」
私はこれがメタバースの本質的な魅力だと考えています。
遠隔でのコミュニケーションにビデオ通話を大きく超える実在感がそなわることで、新たなコミュニケーションの舞台が拓かれるのです。
ただしこれは最前線の人々の中でさえ見解が分かれるところなので、ここで語ることはあくまで私個人の見解なことはご承知おきください。
ソーシャルでVRなことによる価値
私がこの価値を感じたのは、メタバースの中でも「ソーシャルVR」と呼ばれる領域に属するサービス。「VRChat」の中でのことでした。そこには日々、世界中から人々が集まっており、彼ら彼女らは雑談に興じたり、イベントを開催したりと、生活の一部としてそこに来ていました。
それだけ聞いても、普通のオンラインゲームや、はたまた一昔前に騒がれたセカンドライフと何が違うのか、と思われる方も多いことでしょう。今ソーシャルVRがそれらと違うのは「VRであること」。この力は絶大で、アバターを自らの身体と認識することで、世界と自分の間にある壁を越えられるのです。
画面越しの世界しか体験したことのない方々には、ぜひ一度はVRで人と交流する体験をしてみて欲しい。そう強く願っています。
研究者の無理解
メタバースという言葉が大々的に言われるようになってから、まだたった1年半。その魅力の本質は何なのか、誰もが手探りなのが実情です。研究者でさえ、理解の及ばないこともありました。
私は大学院時代に、先生方や後輩に言っていました。他者との関わりこそがVRの魅力を引き出すのだと。
私の研究は、教育用のVR空間内でプログラミングができるアプリケーションの開発でした。
ここに重要な目標として「他者と関われる機能の実装」を掲げていたのですが、結局誰もそれが重要だとは認識してくれないままでした。
アバターは、キャラクターか?あなた自身か?
ここでひとつ、皆さんに考えて欲しいことがあります。
あなたのアバターとは、あなたが操作するキャラクターだと感じますか?それともあなた自身だと感じますか?
このときイメージするのは、ゲーム・メタバース空間どちらでも構いません。
……
もしあなたが画面越しのアバターを想像したならば、どちらかといえば、操作キャラクターとしての感覚が強いのではないでしょうか。
どこか本当の自分自身とは隔絶した領域にあるキャラクター。それを通じてバーチャル世界と関わるとき、画面越しの出来事は自分ごとと捉えにくいことでしょう。
例えば、アバターの手足を自由に動かせなくとも、違和感はないはずです。
それに対して、VRで世界に没入したときには、実在感を伴った世界が目前に広がります。平面の画面とは異なり遠近感を感じられ、見下ろせば、アバターの身体が自分の動きと連動して動く様子が目に入ります。
これらが圧倒的な実在感をもたらし、身体が自分のものだと感じる感覚、身体所有感を生み出すのです。
肉体以外への身体所有感の発生については、古くから心理学実験のラバーハンド錯覚などを通じて研究されています。これはゴム製の手を自分の手だと錯覚させるものでした。
VRでも同じような現象が起こっており、アバターの身体はまるで自分の身体のように感じられます。それによってメタバース空間で誰かとコミュニケーションするとき、まるで対面で会っているかのような感覚が得られるのです。
距離を越えて、対面で会える世界へ
メタバース空間は、VRによる身体所有感の獲得と、距離を越えた他者とのコミュニケーションが両立できる空間なのです。
この組み合わせは、既存の社会生活を改革しうるものだと私は強く感じています。
コロナ禍でリモートワークが一般化したように、今後何らかのきっかけで一般の人に広くVRでメタバースを体験してもらえる機会が訪れたとき、メタバースは一気に次世代の3次元化したインターネットとして広く利用されるようになることでしょう。
今はまだ、メタバースの一般化には技術的課題も多くあります。しかし、この記事を通して皆さんにそのポテンシャルが伝わっていれば幸いです。
もし興味を持たれた方は、ぜひVRで、VRChatをはじめとするソーシャルVRの世界を体験してみてください。向こう側で、待っていますよ。